2012年2月28日

4.3.2 クリミアの政治機構化

クチマ政権のクリミアへの政策はメシュコフによって強化されてクリミア最高会議は中央政府の援助を必要としていました。キエフはクリミアと密接な関係を築きました。ウクライナ議会はクリミア最高会議に対してクリミア憲法を変更し、1994年11月1日の中央政府の規範を遵守する法律へと変更するよう最終提案を行いました。多くの改革派とクリルタイ派はこの発議を支持しました。1995年初頭、クリミアにおける政治的対立は経済問題で深刻化しました。新たに任命されたクリミアの首相はキエフに対して政治的保護を求めました。1995年3月、中央政府は最終的解決として中央当局の関与を強く主張する行動に出ました。[155] キエフはクリミア大統領職に関する法律を撤廃し1992年5月6日の分離独立主義の立場をとる憲法を無効化しました。[156] クリミア最高会議はロシアに救援の要請を行いましたが、ロシアは自国の分離独立問題であるチェチェンへの軍事介入を行っていたためクリミアに関与する余裕はありませんでした。1995年9月21日、クリミア最高会議は5月憲法の修正をウクライナの法律を遵守する新憲法草案として採択しましたが、その草案はキエフにとって受け入れられるものではありませんでした。キエフとシンフェロポリの両者は各条項を個別に交渉して最終的に150項目の条文中130項目について合意しました。11月1日、クリミア最高会議はクリミア・タタール派が投票をボイコットする中で憲法を採択しました。[157] 最終的なクリミア憲法はタタール人の政治的要求を代表するものではありませんでした。[158] 1996年1月31日、クチマは中央政府から派遣される大統領の代理人を設置する大統領令を発効しました。2月にはウクライナ憲法草案が議会で通過し、それはキエフとシンフェロポリの間で新たな緊張を引き起こしました。このウクライナ憲法草案はクリミアの権力の縮小と「自治」という曖昧な用語を用いてのウクライナ主権におけるクリミアの地位の正常化を謳いました。シンフェロポリはウクライナ憲法草案が国際的な義務を侵犯したものであると抗議し欧州安全保障協力機構(OSCE)がこの問題に介入しました。ノードウェク円卓会議(Noordwijk Roundtable)は妥協案として不完全なクリミア憲法を批准することへの国際的正当性を与えました。 ウクライナ議会は最終的にこの提案を受け入れてクリミア憲法草案を採択しました。1996年の不完全なクリミア憲法はキエフとシンフェロポリの間での新たな交渉へと道を開きました。1998年のクリミアでの選挙で共産党とその指導者であるハラチが勝利すると交渉はハラチによって進められました。新しいクリミア憲法草案におけるより大きな経済的自治権を求めることでクリミアの世論は形成されていました。ハラチの草案は1998年10月21日にクリミア最高会議で採択されました。その草案の特徴は外交・経済関係に関する自治権、資源の管理、予算の独立性、税制、首相任命権についてでした。いったんこの草案がウクライナ議会によって否決されるとクチマは両者における主要な指導者が参加する会合を組織しました。条約に基づいた関係と税制に関してのウクライナ議会による幾度かの修正の後、クリミア憲法は最終的に1998年12月23日にウクライナ議会によって採択されました。[159]
分離独立運動が荒廃していたクリミア経済と不十分なロシアからの援助のために下火となっていたことは中央政府のキエフにクリミア情勢を有利に進める要因となりました。クリミアとウクライナ政府との関係における特徴は両者の交渉が独立国家ウクライナの国家建設の最中に行われたことです。シンフェロポリとキエフのふたつのプロセスがクリミア憲法とウクライナ憲法作成のプロセスに集約されたのです。このプロセスは時間がかかり、交渉はその場しのぎ的に見えますがこれらの長引いた交渉は両者に妥協をさせることになりました。この妥協はクリミアのウクライナ主権下の自治という地位によって表されています。キエフはクリミアをウクライナ主権下に置くことに成功し、シンフェロポリは自治という地位を獲得してその地位はクリミアとウクライナの両憲法に明記されています。クリミアの地位をウクライナにおける自治権へと制約するというキエフの成果はコーネルの第一の点を争議の最終的解決として和らげるものです。

[155] Ibid, 177-178
[156] Bugajski, J. (2000). p.174
[157] Sasse, G. (2007). pp.179-180
[158] Shevel, O. (2001). Crimean Tatars and the Ukrainian state: the challenge of politics, the use of law, and the meaning of rhetoric.
[159] Sasse, G. (2007). pp.180-202

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目次

はじめに 1.序論 2. ロシアとしてのソビエト連邦との歴史的関係 2.1 ウクライナ国家の形成とその余波 2.1.1中央ラーダとウニヴェルサール 2.1.2 ヘトマン 2.1.3内戦とディレクトーリヤ 2.2 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の成立...