2012年2月29日

4.4.1 ロシアと黒海艦隊

クリミアはしばしばロシア国内政治における政治的道具としてみなされていました。1990年代初頭、ロシア議会は一連のクリミアに関する挑戦的な議決を行いました。ロシア議会のクリミアに対する立場は論争を引き起こすものであった一方でロシア大統領イェリツィンと彼の政権は挑発的なロシア議会の議決からは距離を置きました。この不一致はロシアのクリミアへの関与を少なくするものでした。ソビエト連邦後のロシアの指導者は現状の国境が不可侵であると定義する1991年12月8日の独立国家共同体(CIS)合意によってソビエト後の国境線を維持する問題に終止符を打とうとしました。しかしロシア黒海艦隊の地位は未決定でした。72%の黒海艦隊人員が1991年12月1日のウクライナ独立へ賛成票を投じました。[160]黒海艦隊は独立国家共同体が艦隊の指揮権を持つことを想定した一方で、そのウクライナ独立へ賛成票はロシア民族とウクライナの独立は黒海艦隊人員のアイデンティティーを定義する要因ではなかったとみなされました。 「多くの1991年の独立へ賛成票を投じた人々は経済的理由によってそれを行ったのです。」とSzporluk が指摘しています。[161] 1992年5月と12月、ロシア議会は1954年のクリミア半島の移管と黒海艦隊の地位に関する合法性に疑問を投げかけました。1993年7月9日、ロシア議会はクリミア半島の統治権と黒海艦隊がロシアの主権下に置かれるべきであるという決議を採択しました。[162] 前述の通り黒海艦隊とセヴァストポリはロシアにとって単に重要な海軍基地であるだけはなくロシアの歴史にとって重要で象徴的な基地であるのです。ロシア議会が1992年5月21日に1954年のクリミア移管を無効化したとき、ロシア人のアイデンティティーに関連づけられたクリミアの地位はイェリツィン自身の民主化運動を動揺させうる重要な要因であったため彼はその議決から距離を置きましたロシア議会の議決に対応してウクライナ政府は国際社会と国連安全保障理事会からの支援を要請しました。国連安全保障理事会はウクライナの領土保全に約束を与え、ロシア議会の決議が国連憲章と1990年のロシア・ウクライナ二国間合意との矛盾を指摘しました。ロシア政府は対話を通じてウクライナと不一致を解決することを引き受けました。米国の仲介によるウクライナとロシアの核武装解除合意はウクライナに領土保全の保証を与えました。この合意はロシアのクリミアへの支配権の主張を終わらせることになりました。また1994年12月のチェチェン戦争の勃発は分離独立運動からロシアの注意をそらすことになりました。1997年5月28日、両国の首相はキエフにてロシアがセヴァストポリをウクライナの領土として認識して黒海艦隊の分割に関する二国間合意を調印しました。ウクライナはロシアに20年間にわたってセヴァストポリの海軍基地を貸し出し、最初の20年後は5年おきに両者の合意のもので貸出期間を延長する可能性を認めることになりました。この二国間合意は友好と協力におけるロシア・ウクライナ条約の締結をもたらしました。1997年5月、両国の大統領はモスクワにて条約の締結を行いました。ウクライナ議会はこの条約を素早く批准したのに対してロシア議会は批准プロセスを長引かせました。それにはロシア議会が合意に対して気が進まない幾つかの要因がありました。ロシア議会はクリミアにおけるロシア人に対する差別を批判しました。新しいクリミア憲法はウクライナ語を唯一の公式言語として定義していることに対して、ロシア議会は1100万人のウクライナにおけるロシア人は少数民族ではなくウクライナ人と共に多数派民族として扱われるべきであると主張しました。しかしイェリツィンからの圧力によってロシア議会は最終的に1999年2月17日に条約に批准しました。[163]

[160] Ibid. p.223
[161] Szporluk, R. (2000). p.321
[162] Kuzio, T. (2007). p.76
[163] Sasse, G. (2007). pp.224-237

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目次

はじめに 1.序論 2. ロシアとしてのソビエト連邦との歴史的関係 2.1 ウクライナ国家の形成とその余波 2.1.1中央ラーダとウニヴェルサール 2.1.2 ヘトマン 2.1.3内戦とディレクトーリヤ 2.2 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の成立...